てんびんの詩

  • てんびんの詩(第一部 原点編)
  • てんびんの詩(第二部 自立編)
  • てんびんの詩(第三部 激動編)
  • にんげんだもの
  • 夫婦だもの
  • 制作者 竹本幸之助

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2020/02/15
№23  今更ながら

 「てんびんの詩」は日本を美しくする会相談役・前イエローハット社長鍵山氏との出会いによって生まれた、とことあるごとに言ってきた。
 昨年暮れ全国的に展開している商人向けの月刊誌「商業界」というところから同友会の全国ゼミナールのパンフレットが所属する商業界近畿京滋同友会を通して配布されて来た。
 そこでふと目にした特別講座の講師のお名前。なんとお懐かしや。当時は私と同年代の若き経営者であった方のお名前が。
 竹本が故人になってからいつしか疎遠になり、だが知的な奥様から出産祝いに頂いた飛騨春慶塗の重箱や丸盆を見るたび思い出していた。その名を見つけた時、てんびんの詩が産声を上げるきっかけは彼だったと今更ながら思い出したというわけである。最近はコンビニの弁当が行楽のお供になったりしているのでお重を表に出すことは滅多に無くなったが、以前はお花見などで活躍したものだ。重箱を見るたびどうされているのかなと気にはしていたが元来の無精者の上に人見知りがきつく、何の用事もないのに会いに行く勇気は持ち合わせていなかった。

 その出会いは遡る事37年前、岡田氏が面白い講師が来てると講演会に鍵山氏を誘った。そのお誘いが無ければ鍵山氏と会うことも、もちろん現在のような映画「てんびんの詩」は誕生しなかったことを考えると出会いの不思議さに驚くほかない。もちろんこのような駄文を読んで頂く方との出会いも。

 こんな駄文でも読んでいる方が居るようで驚いた。友人知人はこのコラムで元気でいることを知るいい機会だという程度の読者しかいないと思っていた。
 病気してたんですね。と、インターネットが主となる昨今、固定電話はFAX専用になったかのように電話はもっぱら携帯ですますので、それはお飾り化して活躍の場はめっきり減った。そのようなある日お電話でお見舞いの暖かいお言葉を。顧客様のお名前は思い出せても個人的なお付き合いはないので、エッ?と一瞬回路があらぬ方向に。そこでこのコラムの登場となった。ネットご注文の場合お客様のお名前とご住所以外は職業や年齢等は知ることはないが、電話の場合、会話の合間にお話しして頂く内容をデータのわずかな空欄にメモってる程度である。ネット登場以前は、お客様との会話が楽しかった。エピソードも多い。今はそれが懐かしい。それらはいずれ披露することになるかも知れない。
 お客様の個人情報をこちらからお尋ねすることはないが、当方はコラムでしっかり見られている。

 過ぎ去ったエピソードは何かのきっかけに思い出される。前述の岡田氏もそのお一人。
 きっかけがあっても思い出せない人もあるが。それにしても自分でも呆れるがコラムは過去話ばかり。未来はないのかとお叱りを受けそうだが、40年も前に制作した「いのちの水」と題したドキュメント映画のプロローグにこう書かれてある。

     人は昨日を憶(おも)って
     今日を識る
     今日を識るから
     明日に向かって
     努めるのである
            (幸之祐)

 解釈は人それぞれに違うだろうが、額に入れられた短い詩は私に力をくれる。揮毫は書の大家・大田左卿先生によるもの。先生はてんびんの詩のタイトル文字などで度々書いて頂いた。今度の漫画本のタイトルにも書かれてある。当時はまだ、高校の教師だったが、優しい筆運びを見るたび心が和む。

 脱線した話をもとに戻すとゼミナールに参加して岡田氏に会いたいが、昨夏、原因不明で倒れて救急搬送されてから、まだ全快していない。この冬、中国発の新型コロナウィルスが世界中に広まっている。まだ免疫抑制剤を処方されている身には、原因不明の感染症は得体のしれない怖さがある。折角の機会をやすやすと逃すわけだが、お元気でご活躍されていることが分かっただけでも良かった。

 いつか必ずお会いできる日が来ますように。「てんびんの詩」の出会いのきっかけを作って頂いたお礼を申し上げたい。  竹本 梢