てんびんの詩

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  • にんげんだもの
  • 夫婦だもの
  • 制作者 竹本幸之助

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2021/12/18
№24  久しぶりの小旅行は感動だらけ!

令和3年も残り少なくなってきました。
前回の駄文から今日迄のたった2年足らずの社会の変化にはとてもついて行けない。
最もついて行けないのがネットの扱い方。驚いたことにこのホームページ上の作品説明の動画が再生不良となっている。いつ頃からなっていたのか。最近、YouTuberで違法アップされていた動画を削除するときに、YouTuber側はAIが選択するので、とりあえず「てんびんの詩」というタイトルを削除したのでは無いかと少しパソコンに詳しい人の言である。それにしても摩訶不思議な削除である。復元するには制作した人であれば再生は出来るかも知れないというが肝心の制作会社とは音信不通となっているのでそことの連絡に時間がかかりそう。それ以上にデータが保存されているかも怪しい。
某有名現像所では発注が二年無かったというだけでデータを削除されていたので、その可能性は大きい。頻繁に確認しなかったのかというお叱りも受けたが、閲覧数を時々確認するくらいでなんとも頼りない。

それにしても令和2年から3年の間の変化は大きかった。なんと言ってもコロナ禍の大襲来の中でのオリンピックの1年延長。予想以上のメタルの獲得は暗い日常に明るさをもたらしたが、その代償?(と言えるかどうか)の第5波の大きなうねりが収まったかにみえたコロナはどこかの企業名のようなオミクロン株を伴って徐々に再度広まりつつある。それが第6波となってくるやも知れないというニュースで持ちきり。季節性インフルエンザと思えばいいのかも知れないが、多分この新型コロナウイルスは変異株で症状が一定にしていないので治療薬は出来ても、これと言った特効薬が出てこないのだろうか。
自身、病弱な割には風邪も滅多に引かないし、インフルエンザは生涯二回ほど罹患したが、明らかに風邪とは違う症状を経験したものである。マスクも手洗いもその頃からの習慣であったので、それが功を奏したのかもしれない。外出時はアルコール液がいつもバックの中に入っているし、マスクに至っては治療薬で免疫抑制剤を服用しているので、人混みでは必需品。マスクが足りないと言われた時期ですら、十分ストックはあったし、アベノマスクは結局開封することも無い。しかも、外出がままならぬとあって風邪一つ引かない。

それでもコロナ禍以前は多いときでは月に一回くらいは日帰り旅行も含めて旅行に出ていたので、どこにも行けないつまらなさは誰でも感じていることだろう。そのような時期、二度県外に出られた。
6月頃申し込んでいた琵琶湖と京都を結ぶ4~5年前観光船として運行した疎水のクルージング。しかしその時期は4波で旅行社の方でキャンセルされたが、11月収まりつつあったので再開したという知らせ。どうしても一度乗ってみたかったのが運良く行けることになった。春秋しか運行しないのでいつも予約で一杯。それで旅行社を通じての疎水トンネルクルージングである。

開通は明治中頃。田辺朔郎というまだ20代の若い青年技師が手がけた工事である。
明治の中頃、東京に都を移してから産業が衰退して行く京都を復活させるため、産業用水力発電や生活用水など、多岐な活用で大きく発展させることとなった。また、琵琶湖は出口が瀬田川一カ所しかないので周辺は疎水が出来るまでは度々洪水に見舞われていたので、疎水開通は京都にも滋賀にも大きな利益をもたらした。すばらし公共事業である。
琵琶湖疎水の詳細は書籍も多数出ているので興味がある方はお読み下さい。

もう一つの小旅行は淡路島に本社の一部を移転したパソナグループの、廃校を利用して観光施設を運営しているお店の見学。その後、徳島の大塚国際美術館に行くことになっていたので、早々に引き上げざるを得なかった。平成10年大塚製薬の75周年記念に建てられた大塚国際美術館は、世界の名画1000点あまりを陶板に焼き付けて展示されているが、一度焼いてから今度は質感や2万色の絵の具で技術者の手仕事により作者の筆遣いなどを再現して再び焼くという。本物なら絶対触れない名画を手で確かめられるという。陶板ならではの冒険?である。
今回は商工会議所がらみで行ったので、案内の説明があったのだが、その陶板は滋賀県の信楽で焼いたのは県民としては鼻が高い!
滞在時間2時間はあまりにも少ないので、コロナが落ち着いてから再度、最近は時間はたっぷりあるので4時間くらいの余裕を持ってもう一度鑑賞に行きたい。
価値の云々は個々に任せるとして、わざわざ海外の有名美術館に行かなくても、そこで本物と寸分違わない名画は一見の価値はあろう。
だが私は名画の鑑賞というより、復元作業の日本の技術力に感嘆したものだ。   

この美術館を作ってくれた初代館長大塚正士氏(故人)に感謝したい。 (梢)