てんびんの詩

  • てんびんの詩(第一部 原点編)
  • てんびんの詩(第二部 自立編)
  • てんびんの詩(第三部 激動編)
  • にんげんだもの
  • 夫婦だもの
  • 制作者 竹本幸之助

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17/8/25
№21 長かった漫画への道のり

 前回から一年以上も空いてしまい、病気でもしたのかと心配してくれた人もいた。
御免なさい。大病はしていませんが、怠慢の海の中にとっぷり浸かっていました。

 漫画化への再開をこの欄でお知らせしてから1年以上も過ぎてしまった。
その文末には、何ものにも邪魔されないようにと祈っている。
 順調に進んでいた漫画本制作だったが、作画家さんの心身不良というアクシデントに見舞われ白紙に戻 るかに見えた。だが大作少年が「逃げるのかおばちゃん」と夢にまで現れて、諦めたくないという作画家 さんの思いに応えたく、彼女で再スタート。

 大病を患い、作画をどんなに頑張っても一日1頁しか描けないという事情も承知の上だ。しかし、一度 は白紙に戻そうとした彼女の経験は作品上に重要な役割を果たしそうで、その紙面を期待したい。画面上 で嘘をついてまで売ろうとして嫌気がさして、鍋蓋を捨てようとしたあのシーンと彼女の揺れ動く作画放 棄が、私にも一度ならずとも放棄しかけた意思の弱さとどうしてもシンクロしてしまう。私の好きなシー ンの一つでもある。

 20数年前、漫画化を思いついたが、様々な障害の壁にぶつかって保留とした。が、やり残した感がぬ ぐえず再開。壁は年月が解決したかというとそうでもない。ならばその当時に障害を乗り越えて完成させ ても良かったのではないかと思うが時間は無駄に重ねていたのではなさそうだ。放棄という経験の重みは、 順風満帆では捉え方が違っていたことだろう。

 当初から自費出版としたかったが、長い歳月は体力も知力も容赦なく奪っていく。製作費をすべて賄う 自費出版には違いないが、これからは販売を含めて出版社が絡んでいくことになる。
 古希を既に追い越した身にはてんびんの詩という原作の著作権だけを手元に置いて手放すことになる。 その出版に名乗りを上げてくれたのは、PHP研究所。
 無数にある出版業界で同社を選んだのは、当出版社を選ぶお客様の世界観が似ているような気がしたか らだ。無論、日本中には良識のある出版社も数多あることは承知の上だ。平たく言えば根底に流れる思想 というべきか。

 それでも多くの方に手に取ってもらうには書店での配置が重要な役割を果たすことは間違いない。だが その書店での立ち位置が激変していると出版営業マンは言う。ネットという新たな市場が席巻していると いう。私のような化石のような存在になると、店頭で手にした書籍たちと、一生の友となりうる出会いが 少なからずあったことを考えると、ぱらぱらと開くことも出来ない本との遭遇は考えられない。尤ももう 廃版になっているような本はネット頼りではあるが。
 出版の世界も商業の世界だ。売れないとなると廃版も覚悟しなければならない。DVDビデオが再発注ま でに期間がありすぎ、廃棄という憂き目にもあった。一社は免れたが一社は処分された。再度DVDに起こ すまでに経費も日数も経ったが、ロット数を減らして発注をかけていれば廃棄は免れたかもしれない。

 てんびんの詩はご承知のように事業の研修に使われている。年に数回、研修教材として同じ商品を何度 となく視聴しているという担当者も少なくない。100回以上視聴したという強者もいた。飽きないです かと聞くと、すっかりセリフも覚えたという返事。今は故人となられたが事業に行き詰まったとき、一人 で観ているという経営者の孤独を垣間見ることもあった。上に立つ人ほど孤独になるようだ。私のように 継承されて来ただけのものですら、相談相手もなく孤独に苛まれることも縷々あった。

 漫画本になると画面が紙面に変わるが、孤独と対峙する人はいるだろうか。業界でネームと呼ばれるラ フ画を見たとき、絵に描かれていない空間に、映画を観たことの無い人が入り込める自分だけの世界があ るような気がした。極めて個人的な感想ではあるが・・・竹本 梢